紙の知識

日本の製紙産業のあゆみ

紙は「文化のバロメーター」といわれ、紙の消費量はその国の経済状況と深く関わりを持っています。日本における製紙産業のあゆみは、常に日本の経済発展とともにありました。

明治初期に国産化された洋紙は、地券、新聞、雑誌などの新しい需要に応えて、次第に生産量を伸ばしていきました。当初、原料は木綿のぼろ(破布)を使っていましたが、明治20年代に木材の利用がはじまり、パルプ用針葉樹材が豊富な北海道や樺太などに工場を設立して、より多くの需要に応えられるようになりました。

3社合併調印式

3社合併調印式
(左より)小笠原菊次郎、藤原銀次郎、大川平三郎、高嶋菊次郎。

第一次世界大戦時には、紙の生産量・輸出量ともに拡大しましたが、昭和に入ってからは不況と競争激化による混乱が続いたため、昭和8年(1933)に王子製紙・富士製紙・樺太工業の三社が合併して、日本の洋紙生産量の85%を占める王子製紙が誕生しました。

昭和15年(1940)に日本の紙・板紙の生産量は133.0万トンで戦前のピークに達しますが、第二次世界大戦での空襲による工場の被害、外地工場の喪失などにより、昭和21年(1946)には生産量が19.3万トンまで落ちてしまいました。

戦後、昭和24年(1949)には占領政策の過度経済力集中排除法によって、王子製紙は苫小牧製紙(現王子製紙)・十條製紙(現日本製紙)・本州製紙(現王子製紙)の三社に分割され、業界内での競争は激しさを増しました。戦後の日本経済の急成長にともなう紙需要に応えようと、製紙各社は設備増強をはかり、生産量は年々増加していきました。昭和28年(1953)には、戦前のピークを上回る生産量(155.4万トン)に達しています。

やがて日本は、昭和45年(1970)からの30年間、世界第2位の紙生産国となりました。平成13年(2001)以降は、アメリカ、中国についで第3位となっています。

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