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ひっそりと昔を語る『パピールファブリックの門扉』

パピールファブリック

明治10年、明治天皇が工場へ行幸された。

当館の1階図書室前に、わが国の洋紙製造黎明期の三工場の一つ、『パピールファブリック』の門扉が古色蒼然と立っています。これは木製で、お洒落にも欄間の透かし彫りの様に、ドイツ語で『PAPIER FABRIK』の文字が記されています。他の二つの工場が東京に建設されたイギリス式なのに対し、こちらは京都嵐山の近くに、京都府が政府からの勧業基立金15万円で建設したドイツ式の製紙工場でした。明治7年11月にこの門や守衛室等が建てられ、明治9年に操業を始めます。その後、経営は磯野製紙所→富士製紙→王子製紙→日本加工製紙と変わるのですが、大正7年11月、この門と守衛室・赤煉瓦室を残して工場はほぼ全焼しました。

その後工場は再建されます。場所は渡月橋の一つ下の松尾橋の東詰南にありましたが、京都市民には戦前の「王子製紙」の名が浸透して、タクシーでは「王子製紙へ行ってくれ」と言ったものです。門はその中央、桂川の反対側の正門にあり、戦後新調されました。歴史の証人の様な創業当時の門扉は、昭和30年に日本加工製紙から、紙の博物館に移譲されたのです。

さて、この工場は驚いた事に、地下水だけで紙を抄(す)いていました。近くに松尾大社・梅宮神社といった醸造や酒造の神社がある位ですから、綺麗で豊富な水脈があったのです。ひと頃、琵琶湖から引いている市の水がカビ臭いことがありました。当時工場では、異臭を嫌う煙草の外装紙を製造していましたが、地下水のおかげで苦情を起こさずに済みました。

明治・大正・昭和と、長年洋紙を作り続けた工場でしたが、都市化の波には勝てず昭和46年に閉鎖しました。その跡地にはマンションが建っていますが、その東端に往時を偲んで小さな石碑が立っています。

(解説ボランティア 小杉睦裕さん)
『紙博だより』第40号(平成21年10月1日発行)より再録

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