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二人のドラマは?! 江戸時代の離縁状『三行半』

三行半4階第3展示室で多くの方が関心を示すのが、江戸時代の離縁状「三行半(みくだりはん)」です。隣に展示してある八代将軍徳川吉宗公のお礼状が高価な檀紙(厚さ約0.45mm)を横二つ折にした"折紙(おりがみ)"に書かれているのに対し、こちらは手紙、包み紙、こよりなど、日用品として使っている薄い半紙(厚さ約0.10mm)に、さらっと書かれています。しかし、当時庶民の間でも普及していた印鑑は押されていません。三行半に大変詳しい高木氏(専修大学教授・日本法制史)の分析によると2割は捺印などが無いとのこと(捺印40%、爪印33%、無20%、花押・拇印6%)。

お志可さん宛てに書かれたこの離縁状の内容はとても簡潔です。

この度、あなたと離縁いたしますので、あなたはどなたと再縁されても全く異存はありません。これを離縁状といたします。
安政3年(1856)4月 源治郎事 治兵衛

当時、離婚率(※)の統計はありませんが、江戸末期の名残をとどめる明治前期の離婚率は現在よりずっと高いのです。(明治16年(1883)離婚率3.39、平成17年(2005)離婚率2.08)。江戸時代は多婚の時代だったといわれています。幕府法や公事方御定書(寛保2年(1742))により、離縁状のない再婚は夫、妻および関係者ともに罰せられました。

作家の故・杉浦日向子さんによれば、特に江戸は圧倒的に男性が多く、女房を見つけるのがとても難しかったそうです。「もし私が期待はずれの亭主だったなら、すぐに出て行ってもいいよ」と結婚前に離縁状を渡すことさえあったと言います。三行半を叩きつけ「出て行け」と女房を追い出す威勢の良い場面は想像しにくいのです。

安政3年はペリー来航から3年、近畿地方風水害、関東大地震、江戸大地震などの自然災害が毎年のようにつづいて起こり、太平の時代から騒がしい世相に急激に変わりつつありました。

さて皆さんは治兵衛、お志可、二人のドラマをどのように想像されますか?

※離婚率=人口千人に対する離婚人口

(解説ボランティア 苅部長久さん)
『紙博だより』第42号(平成22年4月1日発行)より再録

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