明治時代の名所!飛鳥山の桜とレトロな製紙工場

明治時代、東京・王子に新しい名所が誕生しました。日本で初めての大規模な近代的製紙工場として、明治8年(1875)に操業を開始した「抄紙会社」です。この工場は、「日本の文明の近代化のためには、新聞紙や書籍を安く大量に出版するために紙が必要だ」と考えた明治時代の実業家・渋沢栄一の呼びかけで誕生しました。

工場は、三棟の総煉瓦造の建築物でした。当時まだ東京では本格的な西洋建築がなかったので、非常に珍しい建築物として人目を引きました。

建設を指揮したのは、イギリス人のフランク・チースメン。26歳の青年でした。お雇い外国人として来日したチースメンは、明治7年(1874)2月から3年間滞在し、工場の用地選定から携わり、工場建設、イギリス製の抄紙機械の設置を指揮しました。

この工場は、「東京新名所」として多くの錦絵に描かれました。ここでは、明治時代に描かれた工場を、当館の収蔵庫の中から3つご紹介します。

 

桜と工場のコラボレーション

飛鳥山の茶屋から、煙を出す製紙工場がよく見えます。

これは、今昔の東京名所を描く版画のシリーズのうちの一枚で、東京・王子にある飛鳥山から製紙会社(抄紙会社)を眺める様子が描かれています。

もともと飛鳥山は、江戸時代から桜の名所として知られ、錦絵に人気の題材としてよく描かれてきました。抄紙会社の開業以来、飛鳥山の桜と工場を新しい「東京新名所」の一つとして、大きな話題を呼んでいたことがよくわかります。西洋風の工場と、煙突からのぼる煙は、まさに文明開化の象徴として人々の目に映ったのでしょう。

 

【錦絵「古今東京名所 飛鳥山公園地王子製紙会社」歌川広重(三代)画/明治16年(1883)】

(※抄紙会社は明治9年に製紙会社へと名称が変更され、その後、明治26年に旧王子製紙王子工場となりました。)

 

巷で話題の工場に、明治天皇も行幸!

明治天皇は、明治9年(1876)4月、開業直後の紙幣寮抄紙局(後の印刷局)と、前年に操業を開始していた抄紙会社へ行幸され、5月には、皇太后・皇后も行啓されました。

この出来事を元に描かれた本図では、三枚続きの真ん中、天皇の右奥に煙突から煙を上げるレンガ造りの製紙工場が描かれています。

【錦絵「飛鳥園遊覧之図」橋本周延画/小林鉄次郎版/明治21年(1888)】

 

最新鋭の設備も、人々の関心を呼んだ

では、工場内部はどのようになっていたのでしょうか。実は、かなり詳細に描かれた銅版画があります。

当時最新鋭のイギリス製の抄紙機械の他に、日本で最初の水圧式エレベーターである原料運搬用昇降機や、庭に噴水もあったことが分かります。

枠外には出版人名、値段が記されているので、販売目的に製作されたことがわかります。今まで見たこともない舶来の最新設備の数々に、人々は興味津々だったのでしょう。

【銅版画「王子製紙会社略図」村井静馬画/綱島亀吉版/明治10年(1877)】