開催中の企画展・ミニ展示

企画展 吉井源太と土佐の紙すき

会期:2026年10月3日(土)~11月29日(日)

吉井源太(1826–1908)は、現在の高知県いの町の御用紙漉きの家に生まれました。源太が生きた幕末から明治時代は、製紙の世界も、伝統的な手すきの「和紙」から西洋式の機械によって大量生産される「洋紙」へと移り変わる、大きな変革の時代でした。

吉井源太肖像

源太の最初の大きな功績は、万延元年(1860年)に「土佐の大桁」を完成させたことです。この用具によって、従来の2~3倍の紙を生産できるようになり、増え続ける紙の需要に応える道を開きました。また、用具の改良だけでなく、新しい紙の開発にも取り組みます。以前からあった雁皮紙に複写という新しい用途が発見されて命名されたコッピー紙、図写紙や書翰用紙などの薄葉紙類、防火紙など、28種に及ぶ紙を開発しました。これらは内国勧業博覧会や海外の博覧会などにも出品され、数々の賞を受賞しています。中でも、もとは美濃にあったものを土佐で改良した典具帖紙は、より薄く、強い紙として知られ、タイプライター用の複写紙などとして欧米へ盛んに輸出されるようになりました。源太は販路の拡大にも力を注ぎ、土佐和紙発展の礎を築きました。

さらに、和紙づくりの基礎となる楮や三椏などの原料栽培にも力を入れ、土佐は紙だけでなく、その原料の一大産地へと発展していきます。これらの功績から、吉井源太は「土佐紙業界の恩人」と称されています。

源太の活動は土佐にとどまらず、東京・大阪・京都をはじめ各地で技術伝習を行い、日本全体の製紙技術の改良や増産にも尽力しました。晩年には、その集大成として、和紙生産の技術を体系的にまとめた『日本製紙論』を著しています。源太はその生涯を通じて、和紙の近代化と発展に力を尽くしました。

日本製紙論

本展では、生誕200年を記念し、吉井源太の功績と、その活動によって発展した土佐の製紙業について紹介します。

今後の企画展・ミニ展示

ミニ展示 「張子」

会期:2026年12月12日(土)~2027年2月28日(日)

和紙を木型に貼って、乾燥して型を抜き、彩色される張子細工。
干支人形を中心に、素朴で個性的な張子を紹介。

Izumo hariko hitsuji

出雲張子「未」(高橋孝一作、1991年)