手漉き紙

1.スタイン発掘の中国古代紙

敦煌にて発掘/10世紀以前

イギリスの考古学者・探検家のオーレル・スタイン(1862~1943)は、1900年から1916年にかけて3回にわたり中国西域の遺跡調査を行い、特に敦煌で多数の仏画や教典を入手するなど多くの成果を得た。この資料も敦煌の莫高窟でスタイン調査隊が発掘したもの。

2.東南アジア地図

ドイツ/15世紀

中国で生まれた紙の製法がヨーロッパに伝わったのは12世紀のスペインが最初といわれ、その後16世紀までにヨーロッパ全土に広がる。15世紀のグーテンベルクの活版印刷機の発明以後、紙の需要が急増した。この地図は、手漉き法がヨーロッパに伝わった初期の頃の紙。

3.漉模様鳥の子紙

越前(福井県)/享和年間(1801~04)以降

模様を彫った型紙を紗に張って紙料を漉き、地紙の上に漉き合わせる技法で葵の模様をつけたもの。地紙、模様とも鼠色に染めた紙料で漉かれている。この技法を福井では漉き掛けという。

4.透かし入り典具帖「鶴」

篠原朔太郎抄造/愛媛県/明治時代

篠原朔太郎(慶応元年・1865~昭和27年・1952)は、宇摩郡川之江村(現四国中央市)生まれ。幼少の頃より家業の製紙に従事し、和紙製造の技術改良につとめた。明治37年(1904)、アメリカのセントルイスで開催された万国博覧会で、篠原が出品した典具帖紙が一等金牌を獲得している。本資料のように、非常に薄い大型の典具帖紙にすかしを入れるのは、高度な技術を必要とする。

5.着色模様紙

安部榮四郎抄造/昭和41年(1966)

一番上の着色模様和紙は、昭和天皇に献上するため漉いたときのもので原料は三椏。下は植物染料を用いた各種の染紙で、原料は楮や三椏・雁皮の各種で、板干しの長判の紙である。安部栄四郎(1902~84)は昭和43年雁皮紙づくりの技術で、手漉きの分野で初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定された。

古文書・文書類

6.百万塔・陀羅尼(だらに)

神護景雲4年(770)

藤原仲麻呂の乱の平定後、天平宝字8年(764)、国家安泰を願う称徳天皇の発願で木製の三重の塔が百万基作られ、770年に法隆寺、興福寺など10大寺に奉納されたもの。 百万塔は塔身部と相輪部からできている。塔身の上部に丸穴が穿たれ、そこに陀羅尼一巻が納められた。陀羅尼は一種の呪文で4種あり、写真は自心印陀羅尼である。他に当館では根本陀羅尼を収蔵している。刊行年代の明らかな、現存する最古の印刷物の一つといわれる。

7.口宣案

天正4年(1576)

宮廷で雑事を行う下級官吏(職事)が叙位・任官などの勅命を上位の公家(上卿)に伝える文書。本来は職事のメモであったので漉き返し守が用いられた。大法師佐賢を権律師に任ずる宣旨。ごみが多く認められる漉き返し紙が用いられている。 (翻刻)「上卿 勧修寺大納言」/天正四年正月八日 宣旨/大法師佐賢/宜令任権律師、/蔵人頭左近衛権中将藤原親綱奉

8.徳川吉宗黒印状

享保6年(1721)

老中戸田山城守忠真を通して発行された黒印状で、端午の節句の祝に、仙石信濃守政房より八代将軍徳川吉宗へ帷子と単物を贈られたことに対する礼状。黒印状は、墨色の印肉で押した公文書である。 (翻刻)為端午之祝儀、/帷子単物数之/到来、歓思召候、/於戸田山城守可/申候也、/五月三日 黒印「吉宗」/仙石信濃守とのへ

9.明治初期の製紙会社の文書類

明治時代初期

明治初期に創業した製紙会社、抄紙会社、有恒社、パピールファブリックの販売日記、建築費、外国人との往復文書、製造機械類の記録である。

※抄紙会社の文書の一部は、紙の博物館収蔵品データベースでもご覧いただけます。

10.RAG CUTTER(ボロ断裁機図面)

製図:EASTONS & ANDERSON ENGINEERS & co./1874年/縮尺:1/8

抄紙会社創業当時の設備・機械のオリジナル図面7点のうちの1点。明治7年(1874)、抄紙会社の工場起工に合わせて、抄紙機をはじめとする諸機械がイギリスから輸入されたが、当図面は、イギリスのイーストンス&アンダーソン社によって製図された当時のものである。日本の洋紙製造業発祥を伝える貴重な資料の一つで、2007年度産業考古学会から「推薦産業遺産」に認定。

絵画・版画

11.「若一(にゃくいち)王子縁起」絵巻

板谷絵所写/江戸時代

王子権現社(現王子神社)の由来を絵巻物に描いたもので、寛永11年(1634)、三代将軍家光が社殿を造営するのにともない奉納された。林道春(羅山)の撰文、狩野尚信の画、鈴木権兵衛の書で詞書と画の部分から構成されている。原本は万延元年(1860)に焼失しており、この資料は江戸時代後期の模本で、昭和62年(1987)北区の有形文化財に指定された。

12.「製紙勤労之図」絵巻

山本琴谷(やまもときんこく)写/江戸時代 文久年間(1861~64)頃

天保15年(1844)に津和野藩御絵師であった狩野派の画家、岡野洞山によって描かれた「製楮図鑑」(東京・特種東海製紙株式会社蔵)の模本で、原本の最後の部分にある、荷造りした紙を藏に運び込む場面が欠けている。詞書はないが、石州(島根県)における紙漉きの工程が細かい部分まで良く描写されている。山本琴谷(1811~73)は津和野藩士。

13.錦絵「飛鳥園遊覧之図」

橋本周延画/小林鉄次郎発行/明治21年(1888)

明治天皇は明治9年(1876)4月紙幣寮抄紙局(後の印刷局抄紙部)と抄紙会社(後の王子製紙王子工場)へ行幸された。天皇の右下にレンガ造の製紙工場があり、白い煙を上げる煙突が見える。明治期以降に飛鳥山を描いた錦絵等には製紙工場が描かれていることが多い。

14.油絵「三田製紙所全景」

床次正精(とこなみまさよし)画/明治13年(1880)

三田製紙所は鹿児島県人の林徳左衛門(当時米穀取引所頭取)が、明治8年(1875)東京市芝区三田小山町に設立し、地券用紙を製造した。この油絵は、明治13年に真島襄一郎へ工場が譲渡された際に、林と同郷の床次正精(1842~97)に記念として描かせたものである。明治初期の油絵としても評価が高い作品。

収蔵品データベースでは、抄紙会社関連文書の一部と金唐革紙用版木ロールの拓本をご覧いただけます